コンピュータってなに?
テレビゲーム、スマホ、タブレット、デジタルテレビ、これら身近な電子機器はコンピュータで動いています。様々な社会インフラ、電車の改札機やインターネットを作っている装置も、コンピュータで動いています。もはや今の時代はコンピュータが無ければ立ち行かなくなってきました。ましてや今の子どもたちが大人になる頃のコンピュータの影響力は計り知れません。
では、コンピュータとはどういうものでしょうか。これが本当に説明しにくいものです。コンピュータは目にも留まらぬ早さで、動いているところが見えません。それに加えてコンピュータは他に似たものがない独特な発明です。たとえば自動車が発明されたときには、既に馬車がありましたから、自動車は「餌のいらない馬車」「疲れない馬車」といった例えで説明ができました。ところがコンピュータは「XXのようなもの」という例えが出来無いのです。これが、コンピュータとはどういうものか説明しにくい理由です。
コンピュータなんて分からなくたって、使えればいいじゃないか、という大人も沢山います。実はそれではダメなのです。例えば、誰もが料理は知っています。自分で料理をやらない人でも、少なくとも原材料があって、それを加工したものを食べているということは知っています。忙しいときや気分を変えたいときにレトルト食品やレストランは便利ですが、そこで出された料理はどういう風に作られて自分の口に入るのか、それが想像できるということは重要です。
ところが、「コンピュータが分からなくても使えればよい」というのは、料理で言うと「料理なんて知らないけど食べられればよい」ということに相当します。料理を知らないというのは、詳しくないという意味ではなく、まさに原材料を加工することを知らないという意味ですから、料理を知らない原始人にレトルト食品を与えているようなものです。たとえば様々な種類のカレーがありますが、このかたまりが動物の肉を煮るという加工をしたことは分からないし、この赤い四角い固まりが畑でとれたということも知らない。もしかしたら、もっと薄味や辛い味が好みかもしれませんが、そういった調整法も知りません。原始人にとっては、料理を知らないことが異常なことであるとは分からないので「レトルトが食べられてうれしい」と言っています。これが、コンピュータが分かっている人から見た「コンピュータが分からなくても使えればよい」ということなのです。コンピュータの上で動いているアプリのことをコンピュータそのものだと誤解する人も多いですが、たまたま食べたレトルト食品の味を、これが料理のすべてだと言っているようなものです。
プロが作る世界のすばらしい料理には家庭料理をルーツにしたものが沢山あります。料理は元々素人のものであり、そこにプロの技が加わってすばらしい料理に発展しました。これが文化的に豊かだということです。一方でコンピュータはどうでしょうか。いま、コンピュータは一部の人たちによってのみ発展しています。知らない人たちは、我慢するだけで、いえ我慢させられていることも知らないで使っています。これでは情報化社会が豊かな文化には成長しません。コンピュータにも家庭料理に相当するものを必要としています。専門家が思いつかなかったアイデアが一般の人から沢山でてきて欲しいのです。