コンピュータは粘土だ
我々コンピュータの研究者にとって、「コンピュータは粘土だ」というのは特に不思議な例えではありません。でも、世の中の多くの方にとって、「粘土」はコンピュータの真逆にあるような印象を持たれるのではないかと思います。この専門家と一般の方との認識のずれに気づいたのが、私がビスケットを開発しようと思ったきっかけです。その経緯を書きたいと思います。
私は怪獣好きの子どもでした。怪獣の人形は買ってもらえず、代わりに粘土を与えられました。粘土はブロックと違っていろんな立体が自由に作れます。制約は自分の発想力だけというすごい素材です。私はいつも粘土でオリジナルの怪獣を作って遊んでいました。中学に入ると電子工作に興味を持ち始めます。ゴミ捨て場に落ちていたテレビから基板を拾って、トランジスタなどの部品を外して、色んな回路の実験をしました。
その後初めてコンピュータを触りました。基板がむき出しでLEDがチカチカし、プログラムは数字で入力するものです。何かの役に立つものではなく、プログラムを入れて動かして遊ぶだけの機械です。最初は雑誌に載っているプログラムをその通り入力し、その後、適当に数字を変えてみて実験していました。電子工作と違って半田をつけたり外したりという作業も必要なく、コンピュータは非常に手軽にいろんなものが作れます。このとき「コンピュータって粘土なんだ」と素直に思ったのでした。
その後大学でコンピュータを専攻し、コンピュータの研究者になり研究が順調に進んでいたとき、ふと気づくとコンピュータが世の中に普及し始めていました。コンピュータは便利でこうすれば仕事の効率は良くなるのでもっと使おうという流れです。それと同時に、子どもを巻き込んだ悲しい事件が起きたり、テレビゲームと混同されて、コンピュータに対するネガティブな印象を持つ人たちも現れました。
日本の教育は先進国と比較してコンピュータの導入が非常に遅れているのですが、この「効率的」vs. 「危険」という論争が導入に積極的になれない原因なのだと思います。しかし、この論争は不毛です。どちらもコンピュータのある一面しか扱っていません。カレーライスのおいしさを無視して、健康にいい・悪いの視点でしか見ていないのと同じです。
「効率的」「危険」という見方と「粘土」という見方には根本的な認識の違いがあります。どうすれば「コンピュータは粘土だ」という視点で考えてもらえるでしょうか。そして、私が色んな実験をしてコンピュータで遊んだようなことを、LEDチカチカではなく現代風に提供するにはどうしたらよいでしょうか。それでビスケットを作ったのでした。